ああ格差社会 第3回

人間には2種類ある。「労働でお金を得る人」と「名前でお金を得る人」だ。
前者は、労働の対価が賃金であり、労働と賃金はどこまでいっても1:1の関係でしかない。一方後者は自分が持つ知識や技術、名声などがその人固有の価値となり、資産は倍々ゲームで増えていく。
これが、日本を格差社会たらしめている原因である。誰も日本には格差があるなど大っぴらに公言しないが、現実問題、それは存在する。そしてその格差は、子ども社会において如実に現れている。
東京・千代田区に住む筆者は、“超富裕層”のひとりである。その著者の子どもの、無邪気かつ非常識な発言などから、日本の格差社会を浮き彫りにする今シリーズ。連載でお届けする。
書店にあるもの。家には、まずない。
家にたくさんある。
自分の親か友達の親が書いているもの。
「趣味は音楽鑑賞や読書」といったものは履歴書の記載でよく見られるものであるが、「地方の子」の親というのは、まず本を読まない。読むとしても漫画家週刊誌の類である。文庫本は読むかもしれないが、新書やハードカバーといった娯楽以外の実用書を読むことは、まずない。そもそも、大卒の親とて、その比率は都市部などと比べると圧倒的に少なく、そもそも本を読んで勉強する習慣すらないのだ。
「都市部の子の親は、結構本を読む。なので、家にはそれなりの数の蔵書がある。それはもちろん、都市部に住むものは、大抵は大学まで出ているので、本を読んで勉強する習慣を持っている。しかも、大学を出た時の知識そのままでは、会社の仕事すらままならず、当然のことながら出世などできないので、何かにつけて勉強をする必要が生じる。
これに関して言えば、たとえば「地方の子」の親は、田舎に住んでいるから、そもそも、勉強をしたり、知識を入れたりしなくても生活ができるから、本など読まないというものもあるかもしれない。けれども、「都市部の子」の親が、「そうやって勉強しないと生活していけないからこそ、本を読んで勉強する」となっているように、そういった習慣がないからこそ、都市部や都会で生きていけない、ということで、結果的に地方に住み、生きていくということもあるように思われる。うがった見方かもしれないが、私は、「地方の子」の親よりも、都市部の子の親のほうが勤勉であるように思える。
さて、問題は、「都心の子」の親である。「都心の子」の親も、「都市部の子の親に負けず劣らず、勤勉である。なので、本もたくさん読む。家には本が溢れていることもあるだろう。けれども、「都心の子」の親と決定的に違うのは、本の著者になっていることが多いことである。
実際に私が、「これがパパの書いた本だよ」と娘に書店で言ったときに、わたしは「へぇ~! 凄い」「どうやって書いたの?!」と聞かれるのかと思ったが、そうではなかった。娘は「そうなんだぁ。じゃあ、○○ちゃんのパパの書いた本は、どこにあるの?!」と聞いてきたのである。大人というのは本を書いて出版するのが普通であると、心の底からそう思っていたのである。
ここで、本の出版の仕方というのは、大まかに言って3種類ほどある。出版社からの依頼で執筆し、出版をする方法(いわゆる“普通の方法”)と、いわゆる商業出版と、自費出版である。世に何らかの名声なり、功なりを成した者というのは、何かとその業績を後世に残したいと思うので、自費出版をする。そしてまた、都心には、それを行う業者が極めて多い。商業出版というのは、顧客を集めるために、広告的に出版をするものであり、これも自費出版かそれ以上の経費がかかる。けれども、これも、都心にはそのための業者も多く、また、それによって商売をしている者も数多く居住している。
たとえば、一回に300万円を請求するコンサルタントが、一人でそれを運営していたとして、40人の顧客が集まれば、その売上げは1億2千万円である。そして、1年というのは52週間あるので、この「40人」という数字は、一人でも十分にこなせる量である。ここで、もし商業出版に1千万円かけたとしても、その本を1万人の人が読んでくれて、そのうちの0.4%の人が顧客になってくれたのであれば、十分に達成可能な数字である。残った1億1千万円のうち、3千万円が経費としても、8千万円の収入である。これならば、千代田区で普通に暮らすことができる。
普通の出版というのは、大抵は、コラムや業界紙の記事を依頼され、そこに記事を掲載したものがどこかの編集者の目に留まることから、話は始まる。そこでその編集者の属する出版社が出している雑誌か何かに掲載され、反響が良いと、単行本の出版になる。そして、その単行本が一度出されると、他の出版社からもお誘いが来る、という流れである。もちろん、印税が入るだけで、それまでの費用は一切かからない。
ここで、千代田区を初めとする都心の住人には、こうした著名人も多いため、普通の出版をしているのは勿論のこと、必要に応じて商業出版をしていたりもする。要は、「都心の子」の周囲には、そこら中に「著者」というものが存在するのである。現に、私もそうであるが、知り合いのほとんども何らかの“著者”である。したがって、その子どもは、必然的に親の書物や知り合いの書物を見ることになり、それも一冊とか二冊とかではないがために、「大人というのは、本を書いて出版するものだ」と思ってしまうのである。

匿名寄稿
千葉県の農村部出身。現在、東京都千代田区永田町周辺に在住。
某士業に就き、実績は国内外1000件以上。
東京の一等地にオフィスを構え、業界屈指の雄としても知られている。