コラム

ああ格差社会 第6回

人間には2種類ある。「労働でお金を得る人」と「名前でお金を得る人」だ。
前者は、労働の対価が賃金であり、労働と賃金はどこまでいっても1:1の関係でしかない。一方後者は自分が持つ知識や技術、名声などがその人固有の価値となり、資産は倍々ゲームで増えていく。
これが、日本を格差社会たらしめている原因である。誰も日本には格差があるなど大っぴらに公言しないが、現実問題、それは存在する。そしてその格差は、子ども社会において如実に現れている。
東京・千代田区に住む筆者は、“超富裕層”のひとりである。その著者の子どもの、無邪気かつ非常識な発言などから、日本の格差社会を浮き彫りにする今シリーズ。連載でお届けする。

 

ホテル
地方の子

めったに行けない凄いところ。

都市部の子

たまに行く贅沢な空間。

都心の子

たまに気が向いたら、泊りに行くところ。自分のマンションの部屋よりもグレードが落ちるが、プールもあるし、食事もできる楽しいところ。

私が「地方の子」だった頃は、ホテルというものは、めったに泊りに行くことができない高級な場所であった。
まず、自分の家が木造であるのに対し、ホテルは鉄筋コンクリートである。お風呂などの設備も西洋風で、近代的である。
部屋に備えられているアメニティ類も高級品であり、記念に持って帰ることもあった。
食事もおいしいが、高い。ジュース一杯頼んでも1000円くらいするので、まずは親から言われるのは「飲み物を頼んではいけない」ということである。
それは部屋に備え付けられている冷蔵庫に入っているジュース類に対しても同じであり、「高いので、絶対に飲んではいけない」と、たしなめられる。
とはいえ、「地方の子」にとって、ホテルというものは「めったに行けないすごいところ」であり、一種の憧れでもある。

「都市部の子」にとってホテルというものは、「宿泊場所」というだけではない。
七五三などのときにはその行事のために行く場所であるし、誕生日などの祝いごとのときにも、レストランや宴会場の一部を使ったりする。
むろん、旅行に行く際には宿泊場所として利用するので、ホテルの本来的な機能は理解している。
けれども既に述べたように、彼らにとってみれば、宿泊以外にも利用することが比較的多いことから、ホテルというものは、高級な宿泊施設と言うよりは、たまに行く贅沢な空間という位置付けである。
その意味では、「都市部の子」にとっても、「地方の子」と同じように、めったに行けない憧れの場所であることに変わりはない。
ところが、「都心の子」の場合には、マンション住まいの子はもちろん、一戸建ての自宅とて、大抵は鉄筋コンクリート造りなので、ホテルの鉄筋コンクリートの部屋に対して「凄い!」とか「素晴らしい!」とかいう感覚はまったく持たない。
風呂の設備や備品とて、大抵は自宅にあるもののほうが高級品であったりするので、感慨は湧かない。
また、毎週末に出かける外食のサイクルの中には、大抵はホテルのレストランが入っているので、価格帯についても驚かない。こういったところのオレンジジュースというのは、通常、一杯で1000円かそんなものだと思っている。
レストランの窓から見える素晴らしい夜景も、ホテルの部屋からの素晴らしい眺望も、タワーマンションの上層階に住んでいる彼らからすれば、もはや「当たり前」のことであり、「自分の家(部屋)から比べて、どう」という感じで、比較の対象でしかない。
夏には、プールに遊びに行くために、ホテルを利用する。
ホテルにあるほどのプールは、家にはないからである。こんなホテルという存在は、「都心の子」にとっては、たまに気が向いたら泊りに行くところであり、自分のマンションの部屋よりもグレードが落ちるが、プールもあるし、食事もできる楽しいところ、という感じである。
特に、「都心の子」の親は大抵、そうした高級ホテルの会員であるため、レイトチェックアウトやラウンジの利用など、さまざまな特典を受けられる。ホテルスタッフの愛想も良い。
少なくとも「都心の子」にとって、ホテルというのは、「都市部の子」や「地方の子」とは違う意味を持ち、決して憧れの場所などではなく、ほぼ生活の一部となっていると言っても過言ではない。

 

著者名
匿名寄稿

■プロフィール

千葉県の農村部出身。現在、東京都千代田区永田町周辺に在住。
某士業に就き、実績は国内外1000件以上。
東京の一等地にオフィスを構え、業界屈指の雄としても知られている。