コラム

ああ格差社会 第8回

人間には2種類ある。「労働でお金を得る人」と「名前でお金を得る人」だ。
前者は、労働の対価が賃金であり、労働と賃金はどこまでいっても1:1の関係でしかない。一方後者は自分が持つ知識や技術、名声などがその人固有の価値となり、資産は倍々ゲームで増えていく。
これが、日本を格差社会たらしめている原因である。誰も日本には格差があるなど大っぴらに公言しないが、現実問題、それは存在する。そしてその格差は、子ども社会において如実に現れている。
東京・千代田区に住む筆者は、“超富裕層”のひとりである。その著者の子どもの、無邪気かつ非常識な発言などから、日本の格差社会を浮き彫りにする今シリーズ。連載でお届けする。

 

外国の都市
地方の子

ほとんどその存在を知らない。未知の世界

都市部の子

いつかは行ってみたいと思っている場所

都心の子

テレビで紹介されるところも、ポスターで見るところも、そのいくつかは、大抵は既に行ったことがある

「地方の子」にとって外国というのは、ほとんど「宇宙」のようなものである。まず行ったことがないし、これからも行かない可能性が極めて高い。ほとんどその存在を知らない未知の世界である。

実際、彼ら彼女らの一生の中で、外国に行くのは新婚旅行のときだけというのも、ざらにあるのだ。
まあ、まず縁のない場所である。縁がないのだから、関心もない。
大人になってから行きたいなどとも思わないし、行けるものだとも思っていない。当然のことながら、行く価値も分からない。

「都市部の子」にとって外国というのは、いつかは行ってみたいと思っている場所である。 憧れの世界、夢の世界と言ってもよいだろう。行く仲間とお金さえあれば行きたいし、行けるものだと思っている。
大人になったら行ってみたい。そんな感じである。
行けば行ったで、いろいろな経験ができ、自分のためにもなると思っている。実際、彼ら彼女らの多くは、大人になると海外旅行に出かける。

「都心の子」にとって外国というのは、楽しい思い出の場所である。
親に連れられ、幼い頃から海外旅行に行って楽しんでいるために、「外国」と聞けば、「ああ、あそこ」というように懐かしく思い出し、また連れて行ってほしいと両親にせがむ。
テレビで紹介されるところも、ポスターで見るところも、そのいくつかは、大抵、すでに行ったことがある。
本人は、時間さえできれば、いつでも好きなように、ビジネスクラスに乗って快適に行けるものだと思っている。

あまりにも外国へ行くことが当たり前となっているので、「地方の子」のように、外国に縁がまったくないと思っている子がいたり、「都市部の子」のように、いつかは行ってみたいと思っているような子がいたりすることが分かると、まるで異文化に出会ったようなショックを受けることになる。
実際、既述したように、そういった子どもたちと会ったときに「ねー、ねー、パパ。飛行機に乗ったことがないって子がいるんだよ!?」と言うように、ショックを隠せない態度をとるのである。

そう、「都心の子」は、決して「自分達が恵まれている」とは思ってはいない。むしろ、当然だと思っている。
周りの人がすべて自分と同じだと思って暮らし、成長するのである。
これがたとえば、ドラえもんに出てくるスネ夫のように、地方や都市部で暮らし、「自分だけが金持ちで他は違う」ということが明らかに分かるような境遇で育ったのであれば、自分が恵まれているということが自覚できたのかもしれない。

しかし千代田区には、貧乏人はおろか、普通レベルの人間とて住むことができない。スネ夫レベル以上の金持ちばかりしか住んでいない。のび太やジャイアンはもちろんのこと、静香ちゃんや出木杉だって住めないのだ。
スネ夫とて、もし周りが全てそのような人間ばかりであるならば、自分が金持ちだとか、恵まれているなんて思わないし、決してそうは思えないだろう。自分は凡人なんだと思い、そうして暮らし、成長していくことだろう。

なので、ドラえもんで頻出するような意地悪、たとえば、親から買ってもらった高級品を見せびらかすとか、外国で買ってきた珍しいモノを見せびらかしたりするようなことはない。
ましてや、「外国のお土産をのび太だけにあげない」というような意地悪もしない。外国で買うようなものは、周りの皆も当然に、すでに持っているものだと、そう思っているからである。

 

著者名
匿名寄稿

■プロフィール

千葉県の農村部出身。現在、東京都千代田区永田町周辺に在住。
某士業に就き、実績は国内外1000件以上。
東京の一等地にオフィスを構え、業界屈指の雄としても知られている。