コラム

遠畑雅・著『自動車は文化だ! No Car No Life』出版記念 特別対談『フェラーリは文化なのか?』

遠畑雅です。この度は『自動車は文化だ! No Car No Life』を出版させていただいた記念として、尊敬する方との対談が実現しました。そのお方とは自動車評論家の清水草一先生。『そのフェラーリください!』(三推社・講談社/1995年)などの著書で、フェラーリを大衆化させた偉人のひとりです。彼の存在がなければ今の私のフェラーリ道はない、と断言できます。いわばこの対談は私が師匠とはじめて接見を許された場です。清水先生のユーモアとウイットに富んだお言葉をぜひご高覧ください。(構成/尾谷幸憲)

 

第1章 フェラーリの大衆化は一冊の本からはじまった

遠畑雅(以下、遠畑):今回、出版社のはからいで自動車評論家・清水草一先生との対談が実現することになりました。今日はよろしくお願いします!

清水草一(以下、清水):ええ。忖度なしになんでも聞いてください。

遠畑:ありがとうございます。私は清水先生の著書に多大な影響を受けてきました。自分が今、車趣味を続けているのも一重に先生のおかげです。私の原点のひとつが、大昔に読んだ池沢さとし先生の漫画『サーキットの狼』。清水先生は週刊プレイボーイの編集部にいたときに、続編漫画『サーキットの狼II モデナの剣』の担当編集者をやられていたそうですね。それを知ってびっくりしました。

清水:自分がフェラーリと出会ったのは、ちょうどその頃でね。1989年に池沢先生のフェラーリ・テスタロッサを運転させてもらったんです。その瞬間、「これは神だ…と絶句した。車に対する知見が浅かった時期に、いきなり頂点を知ってしまった。いわば、いきなり「悟りに達してしまったわけです。そして、自ら大乗フェラーリ教・教祖を名乗りはじめるんだけど(笑)。

遠畑:私もその信者のひとりでございます(笑)。先生はその後、1993年に赤の348tbを購入されて、その体験談も含めた書籍『そのフェラーリください!』(三推社・講談社/1995年)を上梓されます。私はこの本を20歳くらいのときに読んで、まるで空から何かが降ってきたような、降臨してきたかのような衝撃を受けました。それまでのフェラーリについて書かれたテキストは、プロの自動車評論家の方が試乗会に行って書いたものばかりでした。しかし、清水先生は自腹でフェラーリを購入し、実際に乗って、その楽しさを庶民の目線から綴っていた。多少、大げさで偏愛的な部分はありましたが(笑)、それも含めて私の指針になりました。「自分もいつかはフェラーリを買うぞ!」と固く心に誓いました。

清水:あの当時、世間はフェラーリを誤解していたよね。自分が最初にフェラーリを買ったとき、自動車メディアの人々にこう言われたんです。「どう? 壊れた?」「ひどい目に遭っているでしょ?」って。フェラーリは壊れやすい車という認識があって、買うと地獄に堕ちるとまで思われていた。確かに自分が最初に買ったのも、少し故障して多少の出費はあったりしたんだけれども、それも想定していたものに比べたら全然少なかった。むしろ買った後、いいことしか起きない。はじめて幸せになれた。すべてが救われた。フェラーリは天国への道だったんです。

遠畑:100パーセント、同感です! 自分が最初に買ったのがチャレンジ・ストラダーレというストリートのレーシングカーみたいなやつだったんですけれども、それで味わった感覚が1番強烈に記憶に残っています。あの美しいインテリア、そして車体の後ろから聞こえる管楽器のようなシンフォニー……。その美しい世界を我が物にできたということは一生忘れられません。フェラーリを手に入れるだけで、男としての自信が持てるようになったと言いますか。

清水:女性はダイヤモンドを見ると元気になると言うじゃないですか。いつも身につけて歩く必要はない。たまにそっとタンスの中から出して眺めると元気になる。なんとなく自分に価値があるというふうに思える。フェラーリは男にとってダイヤモンドと同じなんです。フェラーリがあると言うだけで自分に自信が持てる。生きてて良かった……。そう思えてくる。

遠畑:ちなみにフェラーリ以外の、例えばポルシェ911ターボ、ロータス・ヨーロッパなどのスーパーカーに憧れは?

清水:ポルシェに魅力を感じたことはあった。でも、「いい車だな」というレベル。それと比べると、フェラーリは完全に別物なんですよ。実用性ゼロなのに、そこに存在していられる。雲の上の存在。次元が違います。

遠畑:はい、フェラーリって、もはや車じゃないですよね。車と言ってしまったら失礼極まりない。

清水:そう、フェラーリは車ではない。UFOや宇宙戦艦、神に匹敵する存在なんです。

 

第2章 年収300万円でもフェラーリを手に入れられた時代

遠畑:清水先生の他の著書にも勇気づけられました。『フェラーリがローンで買えるのは、世界で唯一日本だけ!!』(ロコモーションパブリッシング/2005年)、『年収300万円台から始めるフェラーリ購入計画』(共著・榎本修/NEKO MOOK/2009年)などで述べられていた、年収300万円の人でもローンを組んで頭金を出せばフェラーリは買えてしまう、という事例です。私もサラリーマン時代は年収が300万円程度の時期もあったので、余計に響きました。

清水:へえ、そんな時代もあったのか〜。

遠畑:先生のお知り合いで、フェラーリを買うために食事をすべて肉まんにしていた方がいましたよね?

清水:肉まん酒井君。年収300万円でフェラーリ348スパイダーを手に入れた男だね。

遠畑:あのストイックさには感動しました。

清水:ただね、ああいう現象は驚天動地だったよ。自分としては、そこまで無理してフェラーリを買いましょう、と言ったつもりはないんです。実際、自分は郵便貯金で貯めたお金で買っていたし。ただ、その当時って、まだフェラーリが安かったんだよね。だから、そういう買い方も出来てしまったんだろう。335が700万円ぐらいで買えたしね。

遠畑:今はどんなに安い中古車でも1000万円以上。新車なら大体3000万円。そこからオプションを入れると4000万円とかになってしまう。

清水:まあ、市場原理っていうのは神の見えざる手なわけで、抵抗しても無駄だよね。でもね、フェラーリF35って新車の時にいくらだったのかと考えると、1500万円ぐらいだったわけ。その車が25年後の今でも 1500万円相当で取引されている。コンディションのいい車は新車と同じという考え方にもなってきている。今後はクラシック・フェラーリの相場もさらに上がっていくでしょうね……。つまり、何をいいたいかと言うと、時間が経てば経つほど値段が上ってしまう可能性があるわけだから、早く買うしかない! その時の相場も自分の気持ちも、すべてを受け入れて、その上で欲しかったら買え! 欲しくなかったら買うな! それだけなんです。

遠畑:私はこの世に生を受けたからには夢や目標は叶えていきたい、と常々常に思っています。だから買う派です。

清水:次に何買うか考えてる?

遠畑:究極は250GTOが欲しいんですけれども、ここに到達するにはさらに資産を増やさないとなぁ、と思案しております。

清水:僕は年を取ってしまって、夢が小さくなりましたね。フェラーリに対する憧れの原点は、スピードでへの情熱でしょう。フェラーリはそうやって生まれた車で、誰よりも速く、誰よりも美しく、ということを追求してきた。そして速さはどんどんインフレ化してい行いった……。でもね、この歳になると、600馬力とか800馬力とかさすがにいりません。

遠畑:正直、普通の人間の手に負えないですよね。

清水:自分は458イタリア、つまり570馬力のフェラーリを手に入れて、5年間ほど乗ってはしゃいできたわけですけど、それも50代半ばになると、これはもう無理だと。速い車を楽しむのは難しい、もっと低い速度で楽しみたいと思い始めてしまった。すると「性能が低ければ低いほど尊い」「遅ければ遅いほど楽しい」という視点を獲得することが出来たんです。だから最近、軽トラ買ったんだけど。

遠畑:軽トラとは! 先生のフェラーリ以外のサブ車といえば、イタリア車とかフランス車だったはず。それがなぜまた軽トラに……?

清水:今まで13台のフェラーリに乗せていただいて来たし、ランボルギーニ・カウンタックにも乗らせていただいた。軽トラに行ったのは頂点を知ったからでしょう。頂点を知ればすべてが見えてくる……!

遠畑:悟りの境地ですね。

清水:いわゆる神の視点です。下々の営みがとても楽しそうに見えてくる。今までいろいろ乗ってきたからこそ、今はあまりお金がかからない軽トラをイジるほうに意識が向いている。

遠畑:軽トラは、さすがにまだ腹落ちしないことありますけれども、フェラーリの酸いも甘いも(まあ、実際は甘いしかないんですけれど)全部を知り尽くした上での究極のスタイル、それが今の清水先生なのかもしれませんね。

 

第3章 投資でフェラーリを買うのは邪道か?

遠畑:私は脱サラをして不動産投資で資産を形成し、フェラーリに辿り着きました。そういう到達の仕方に関して清水先生はどう思われますか?

清水:フェラーリでそういう方に出会ったのは遠畑クンがはじめてですね。ランボルギーニ界隈にはそういう方が多い印象があります。ランボルギーニに憧れる方の中には底辺にいらっしゃった方もいたりしまして。ランボルギーニに乗りたい! どうすれば買えるんだ? よし、キャバクラ経営だ! で、丁稚からはじめて経営者にまでのし上がって、それで夢のランボルギーニに乗るみたいな話は聞く。一方、フェラーリの場合は普通のサラリーマンが節約でコツコツとお金を貯めてローンで買う、それが美徳だ、という時代もあった。でもさっき話したとおり、今のフェラーリは節約で買うのは難しくなって来ている。遠畑クンのような方が出てきたのは必然でしょう。でもさ、ちょっと聞きたいんだけど。投資ってようは博打でしょ?

遠畑:博打のようなものもありますね。一概には言えませんが、仮想通貨とかがそれに当たるかも知れません。

清水:仮想通貨なんて、宝くじみたいなものだろ? それで買ったフェラーリなんてナンボのもんじゃい?と。それがありがたいのか? 額に汗して働いて買ったから尊いんであって。ところで俺は不動産投資のことは全然分からないんだけど、みんながみんな成功するもんじゃないでしょ?

遠畑:ないですね。100人やって大成功できるのは3人くらいだと思います。

清水:3人しかいないの? 宝くじと変わらないじゃん!

遠畑:いやいや、宝くじは何万人のうちの10人ぐらいしか儲かりませんから! それに比べたら不動産のほうがまだいいのかもしれませんが。ただ、実際にやるかやらないかとなると資金も必要ですし、覚悟も必要です。私はフェラーリを買うために1日500円の生活を2年間続けました。奥さんにお弁当作っていただいて、お昼になると日比谷公園に行って1人寂しく食べて、残りの時間を全部読書に当てて、投資の勉強をしました。その時に乗っていたポルシェ911を断腸の思いで売却し、投資資金にしました。でも、この2年間があったからこそ、3台のフェラーリに乗ることが出来ました。

清水:なるほど。投資といっても、ただ待っているだけではなかった。自分からリスクを取り、一生懸命、汗をかいてきたわけだ。こういう時代ですから、遠畑さんの事業だって想像もできないところでひっくり返るリスクがあったかもしれない。それでも、やってきた。資産を形成して、フェラーリに3台も乗ることが出来た。もう、男としてやることはやったでしょう。

遠畑:はい。思い残すことはないです。

清水:人生、山あり谷ありの方がいい。谷にがないと山もないわけだからね。まっ平らじゃなくて、谷を確保して山をつくりましょう、と。でもリスクは取りにくいという読者もいるだろうから、そういう人々は手堅く単発のアルバイトで収入を上げるのもいいと思う。副業が普通になった時代だからこそ出来る技だと思う。

遠畑:そういう考え方もありますね。そこは人それぞれの道があると思います。

 

第4章 カウンタックにも乗るべきなのか?

遠畑:ところで、最近はすっかり軽トラにハマっている清水先生ですが、フェラーリを手放したりはしないですよね?

清水:そうね。ないとダメ。依存症ですから。

遠畑:実はフェラーリ依存症という病気がありまして(笑)。1日乗らないと手が震えてしまうといった症状が報告されています。

清水:俺は持ってるだけで大丈夫だね。実際、1ヶ月に1回しか乗らないとか、年に数回とか、ほとんどの人がそうなっていくよ。フェラーリの快楽というのはあまりにも強烈なので、その思い出を反芻するだけで満足できる。「あの時、最高に気持ちよかったなぁ」っていう思い出すだけで10〜20年行けるんだ。で、一応持ってるから運転しようと思えばいつでも運転できる。そう思うだけで、生きていける……。そんな車ないよね!?

遠畑:運転しなくてもいい、というのはわかります。私は最初にフェラーリを買った時、それを眺めながら赤ワインを飲みましたから。フェラーリは酒の肴になる。

清水:そういう用途もあるね〜。

遠畑:あと、フェラーリって女性にモテるかって言ったらモテないですよね。子供からモテた経験はありますが。

清水:子供にモテるんだったらカウンタックが最強だよ。カウンタックはフェラーリの50倍ぐらいは破壊力がある。子供とか女性とか……女性っていうのはママのこと。子供がカウンタックに近寄るとママも付いてくるので。あと、おじいちゃん、おばあちゃんもカウンタックに吸い寄せられる。フェラーリを崇拝して者として「こんな負けるのか?」ってショックだったもん。でも、それを知るのも勉強なんじゃないか。遠畑さんも1回、カウンタックに乗った方がいいんじゃないかな? 

遠畑:確かにスーパーカーを語る以上は、やはりカウンタックは一回通らなければならない道ですね。

清水:でも「1回、カウンタックに行った者は2度と帰ってこない」っていう伝説があるんだ。「帰ってきたのは清水さんだけだ」ってよく言われる(笑)。それにカウンタックに行くなら、フェラーリ458に行って欲しいな〜。あれは本当に素晴らしかったよ。458で速い車を極めて、もっと前へ前へというのであればカウンタックでも宇宙でも目指せばいい。そして最後は軽トラへ……。

遠畑:その境地に達することができるよう、今後も精進いたします!

 

最終章 自動車は文化か?飲み物か?

清水:ところで最後にいいかな? 実は気になっていることがあって。今回の本のタイトルは『自動車は文化だ!』じゃない? 自動車って本当に文化なの?

遠畑:自分は文化だと思っています。

清水:そういう見方があるのはわかるけど、俺は自動車を文化だというふうに捉えたことはないんだ。

遠畑:では、清水先生的にはどのような対象なんでしょう?

清水:う〜ん……飲み物かな? 

遠畑:はい? なんですか、それは!?

清水:自分は素敵な自動車たちの恩恵を受けてきただけで、ただただひたすら喜びを得てきただけなんです。消費し、血肉化してきたという意味では、飲み物や食べ物みたいなもんなんじゃないかと。作ってる人は「これは文化だ
と思って作ってるかもしれないけど、俺たちはただ乗ってるだけ。そう考えると飲み物、食べ物と同じじゃないかって。

遠畑:まあ、確かにハンドルを握って走行感を楽しむのは、高級フレンチのコースを楽しむのに似ているような気もしますが……。食も文化ですし。あと、その造形美を絵画のように楽しむことができるのも文化に近い。それはある意味、芸能、エンターテイメントにも近い。フェラーリは乗って楽しい、聞いて楽しい、見て楽しい。これは明らかに文化ではないかと。あくまで私の解釈ですけれども。

清水:うん、言ってることはわかる。というか俺が何を言いたいかと言うとね、次に自動車本を出すときはタイトルを『自動車は飲み物。』にしたらどうかなって。

遠畑:はい?(笑)。

清水:自分は出版人でね、どうしたらみんなに読んでもらえるか?という発想が常にある。そもそも自分の著書『そのフェラーリください!』も、フェラーリという最も買ってはいけないものを八百屋でダイコンやナスを買うような感覚で買う、という感覚で付けたタイトルなんです。

遠畑:なるほどですね……。

清水:東京に『カレーは飲み物。』っていうチェーン店がありましてね。あと『とんかつは飲み物。』っていう店もある。これ、インパクトあるじゃないですか。ついつい「行ってみようかな?」なんて思ってしまう。だから、やっぱり『自動車は飲み物。』は来るんじゃないかなと思っている。大乗フェラーリ教の開祖が言うんだから間違いないっ!

遠畑:教祖からいただいた、このありがたいタイトルでサンライズパブリッシングさん、ぜひ1冊出してみませんか? ……って先生、ところでこの本、どんな本なんですか?

清水:知らん。そんなの自分で考えろ!

遠畑:(これ無茶振りだろ、と思いつつ)りょ、了解したしました!!

(完)