コラム

#01 借金の泥沼で見た光景

水野俊哉の壮絶な物語は、借金地獄の苦しみから幕を開ける。

 

現実を認められない無気力状態

僕は借金の泥沼にハマりこみ甘い夢を見ていた。

いや、半睡半醒の状態でとりとめのない思索だけが、意識に上っては消えていくのだった。

なぜ鳥は空を飛ぶのか?

金と煙はなぜ高いところへと上っていくのか?

深海の魚はなぜつぶれないのか?

そんなことをなぜ、いま考えているのか、まったくわからない。

 

ピンポーン、ピンポーンと、遠くでチャイムの鳴る音がする。

 

棺の中で横たわっているような感覚だった。土の中はひどく蒸し暑く、だらだらと背中を汗が伝っていく。

部屋の中には真夏の濃密な熱気が漂っている。

この夏の東京は、最高気温が38度を超える日が連日続き、ビルとアスファルトの道路に囲まれた都心部は、フライパンの上で生活しているような暑さだった。

もう午後の時間であることは間違いない。

 

「おーい」と声が聞こえた気がした。

「水野さーん」ドンドンとドアを叩く音。「○○ファイナンスです」

甘く溶ける死体となった僕を借金地獄という過酷な現実へと呼び起こす、容赦のない債権者の声だ。

夢から醒めた僕は、いったいどこへ行けばいいのだろう。

 

僕は3億の負債を抱えていた。

遅延損害金などを考えると、ただこうしてじっとしているだけで月に200万円近い額の借金が増えていく。

僕の認知を超えた現実を到底受け入れることができなかった。

 

もう何をする気力もなかった。

いったいどこで間違ったのか

人間は死ぬ間際に走馬灯のようにそれまでの記憶が再現されるという。

 

僕の大事な記憶は、ワールドカップの思い出とセットになっている。

いちばん最初に思い出すのは1986年メキシコ大会準々決勝のマラドーナの神の手ゴールとその5分後の5人抜きゴールである。

一生懸命働いて貯めたお金を持ってパリに飛んだのは1998年のフランス・ワールドカップのときだった。

日本代表が初めて出場したワールドカップを現地で観戦した。

続いて2006年のドイツで見た、抜けるような青い空と生ぬるいビールの味を思い出した。

いまの僕はこのときのオーストラリア戦の日本代表のように完全にノックアウトされている。

 

事業で抱えた数億円の負債と、すぐに返さなければいけない数千万円の金。

1990年イタリア大会のころ、自分の人生がこんなバッドエンディングを迎えることになるとは思ってもいなかった。

小学生のころ、倒産した会社の社長とか逮捕される人はとてつもない悪人だと思っていたけど、なんでこんなことになったのだろう。

人生などしょせん一炊の夢というが、いまの状況が夢であったなら、どんなにかいいだろう。

そんな現実逃避に身をまかせようとしてもみるけれど、生きている以上、この苦境から逃れる術はなさそうだった。

 

1994年のアメリカ・ワールドカップのころに僕は社会に出た。

バブルが崩壊した後だったけれど、世間にはまだ明るい希望が残っていた。

僕は、自由に生きたいと願っていただけだったはずが、いつしか越えてはいけない一線を越えていた。

どこで道を誤ったのか何度も考えてみるのだが、わからない。

そして、たったひとりの大切な人はどこへ行ってしまったのだろう。

僕は真夏なのに心が凍えるような恐怖心に震えていた。

 

なぜ、こんなことになったのか。
なぜ、借金地獄から立ち直れたのか。
それを克明に記すべく、水野俊哉は筆をとった。

 

■出典■
「幸福の商社、不幸のデパート」
僕が3億円の借金地獄で見た光景

水野俊哉 著
サンライズパブリッシング